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2020年3月

松之丞 「畦倉重四郎 全19席」@伯山TV (追記)「中村仲蔵」「グレーゾーン」

  2003_20200331214901 最近Youtubeの伯山TV見てるんですが、襲名披露シリーズが終わったら、松之丞としての集大成ともいうべき、今年1月の5日連続読み「畦倉重四郎 全19席」を1席ずつアップする、という太っ腹企画を実現してくれました。ほんとに毎日、帰宅してからのお楽しみ。

畦倉重四郎は、武士の子で剣の腕はありながら、博奕の味を覚え、恩人、友だちも気に入らなければ次々に殺し、人に罪をなすりつけ、自分は何食わぬ顔で大店の後家の婿に収まります。無実の罪を着せられた商人の盲人の息子丈賀と、大岡越前はなんとか重四郎を追い詰めようとしますが…。

いわゆるダレ場もあるといいますが、どうして、多彩な男女の登場人物が生き生きと描き出されていて、毎回面白い!最初から腹の据わった悪党重四郎ですが、いい男なんですよ。対照的なのが丈賀。自分をかわいがってくれた大好きなお父さんのために、必死に重四郎を探します。それを助けるおふみが気丈で健気。奇妙院のエピソードも面白かった。

5日間で19席、1日4席、休憩挟んで2時間ほどやるわけですが、声を張り続けても少しもかすれず生気溢れる松之丞、地の語りも勢いがあります。この迫力が、ほかの講談師さんとちがうかな。

そして、やはり私、立ち回りや言い立てよりも、ドラマが好きなんだなと思いました。まだ伯山はテレビでは新参で、ゲストで出ると講談を紹介するのにひとくさり、狼退治や山田真龍軒をよく出しますが(落語家やマジシャンはそんなこと求められないからやっぱり珍しいということですよね)、なかなか聞きとおさないとこの面白さは感じられないなと思いました。

19話めは、A日程とB日程の2つのバージョンが公開されています。AよりもBの方が少し長く、説明もやや親切。私は見方が大雑把なので、そんなに印象が変わるほどではなかったんですが、あんなにかまずにスラスラ話しているのが、台本をそのままなぞっているのではなく、だいぶその場で変わっているのに驚きました。18席で、「お前とは重みの悪事がちがう」と言ってたんですが、「悪事の重み」のまちがいですよね。でも気づいたのはその程度で、ほんとにスラスラ気持ちよく聞けるのもすごいところです。

毎日聞いていたら、落語の動画も目に入ってきました。落語を聞きだしたら、当分時間はつぶれますね(ヤケ)。

(追記・中村仲蔵)

その後、浅草演芸ホールの襲名披露の初日、「中村仲蔵」も伯山TVにアップしてくれました。この話好きだあ。伯山ファンの松緑さんも見てるかな。

圓生さんの「中村仲蔵」の名演も見てみました。落語と講談の違いが比較的少ない演目。伯山はあくまで仲蔵の葛藤に焦点を当てるために女房や最後ほめてくれる團十郎の出番を少なくしているんですが、たしかに、仲蔵がクローズアップされる効果についてはそうかなという気もしますが、出てくる圓生さんの落語でも、感動は変わりません。時代がちがうせいか、歌舞伎の衣装の描写が豊富で、歌舞伎を見ていない人にはついていきにくいかもと思いました。

(追記・グレーゾーン3演)

伯山が今封印している新作講談「グレーゾーン」のアップがありました。しかも、前座時代のネタおろしから封印、襲名披露の3パターン。お話は、高校時代プロレスの話をしていた男子2人のうち、1人が新作落語をやる落語家になり、笑点大喜利出演者となって…というもので、モデルが成金仲間の滝川鯉八さんだそうです。高校生の描写は伯山本人と友人なのでしょうが、大衆がエンタテインメントに求めるものとはというテーマがあって、訴えるものはなかなか深い名作。

2011年1月  入門後3年ちょっと前座時代のネタおろし。マクラもなめらかで、作品の構成や語りの完成度はすごいです。マクラで、「もう講談師の悪口は封印する」って言ってたのが、その後もっとエスカレートしてるじゃん、講談師の悪口に限ってか、などと思ったりして。

2016年10月  この年関係者が亡くなったことから、大相撲の八百長の話が出てくるこの演目を封印した最後の口演(鯉八の優れた新作をみて、新作をやめることにしたというのもあるそうですし、古典を広めようと決意したときとちょうど時期が合ったのでしょう)。3本の中で一番長く50分あるので、描写が丁寧。この間の成長目覚ましく、主人公鮒八に時代ものの剣豪のような凄みが感じられます。

2020年2月 この2月の真打・伯山襲名披露の末廣亭での口演。時間は短いのに、アントニオ猪木さんとの対談のエッセンス(この対談について語ったラジオの「問わず語り」の回は名作でした)を振ったうえでの口演、笑わせるところの勢いや、友人滝本の描写が見事で、進化しているんだなあと思いました。鯉八さんへのリスペクトもものすごく、鯉八さんを聞きたくなりました。

ミュージカル「アナスタシア」@シアターオーブ

  2003_20200322225501ミュージカル「アナスタシア」です。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の皇女で、ロシア革命で皇帝一家が殺されたのち、実は生きていたとアナスタシアを名乗る女性が多数現れたという事実をもとにしたアニメ映画(1997年、20世紀FOX)を原作とするミュージカルで、ブロードウェイでは、2017年3月から2019年3月まで上演されています。

トニー賞は、助演女優賞(マリア皇太后)と、衣装のみのノミネート。うーむ、やはりこのような時代劇は評価されにくいのでしょうか。でも日本ではこういう素材は受け入れられやすいし、キャラクターも生き生きしていて、楽しめました。脚本のテレンス・マクナリーの過去の作品には「蜘蛛女のキス」、「フル・モンティ」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」があって、なるほど、好きなタイプ(その後、マクナリー氏が新型コロナウィルス肺炎で亡くなったというニュースが入ってきました。ご高齢ですが、お元気だったようで、何と残念な)。

ロシア革命後の物騒なペテルブルク、詐欺師のディミトリ(内海啓貴)とヴラド(石川禅)は、パリに逃れたマリア皇太后(麻美れい)のもとに、町の少女を皇女アナスタシアに仕立てて連れて行こうと、道路掃除をしていた孤児のアーニャ(葵わかな)をみつけます。アーニャはアナスタシアの情報を教え込まれるうちに、徐々にアナスタシアの記憶を取り戻していきます。皇帝一家に手を下した元警備兵の父を持つボリシェビキの将官グレブ(山本耕史)は、本物のアナスタシアならば殺せとの命を受け、パリに彼女を追っていきます。偽物ばかりに会ううちに希望を失っていた皇太后を、ヴラドの元恋人伯爵夫人リリー(堀内敬子)の活躍もあってアーニャは皇太后に会い、アナスタシアと認められます…。

映像をうまく使ったスピーディな舞台展開で、宮廷の回想シーンは華やかなアンサンブル。曲もよくて、役に合ったキャスティングと、久しぶりの王道ミュージカルで楽しめました。

ダブル、トリプルキャストのうち、当然優先するのは山本耕史(と石川禅)!やっぱり最高でした。山本耕史のグレブ役は、映画には登場しないミュージカルオリジナルの役で、ブロードウェイでは、ラミン・カリムルーが演じていたということで、いったいどんな?と思っていたら、わりと最初から登場、出番も多く、アーニャに好意を抱きながら、暗殺を命ぜられる、せつない立場の軍人で、手っ取り早くいうとレミゼのジャベールですよ。鍛えたバランスのいい身体には軍服がよく似合い、びしっとしたセリフと動き、繊細な演技、スコーンと気持ちのよい発声の歌!主役じゃないけど、彼が出演した意味がよくわかるお役でした。

そして贔屓の石川禅も、アクの強い、でもどこか人のよさそうな詐欺師という彼に合った楽しい役で、アーニャ、ディミトリと3人の場面が多く、2幕ではリリーとのたっぷりしたデュエットもあって、いつも禅ちゃんにもっと活躍してほしいと思っている私としては大満足。

ステキだったのは麻美れい。ピンと伸びた背筋の長身の皇太后の姿は、まさにディグニティ!そして、リリーの堀内敬子もよかった。パレードのときはやや優等生的な感じがしたんですが、この役ではハジけていて、彼女の持つ明るさが、2幕を盛り上げていました。

葵わかなはミュージカルで見るのは初めてでしたが、歌声がきれいで、セリフも安定感があってよかったです。内海くんもさわやかな好青年。ハッピーエンドが気持ちよかったです。

2月後半から、お芝居は軒並み中止。このアナスタシアを見られたのは本当にラッキーでした。

歌舞伎などは、初日が延びに延びて、結局3月は上演できず、四代目の南座オグリも、七之助の桜姫も、仁左衛門さんの新薄雪物語も見られませんでした。チケットが買えて、時間をやりくりすれば好きな芝居が見られるということはなんて幸せなことだったんでしょう。世界と今の状況を見れば、ライブができないのはやむをえないとして、役者さん、音楽、舞台スタッフの皆さんはどんな思いでいらっしゃるか、胸が痛みます。どうか、舞台芸術が致命的な状況になる前に、何とかなりますように。

 

 

 

神田松之丞 聞き手 杉江松恋「絶滅危惧職、講談師を生きる」文庫版

  2003_20200310190301少し前に、新しい松之丞の本が出てる!と思って買ったら(「祝 真打昇進」の帯がかかっていたし)、2017年10月に出版された単行本に、伯山襲名決定後の状況などを書き足して、19年11月に出版した文庫本でした。

イケてない学生時代、芸人になると思い定めて、寄席や劇場に通った大学時代。談志に憧れて、講談というジャンルを選んで松鯉師匠を選んで入門、やる気のない前座修行、二つ目に昇進して、気鋭の仲間と成金や渋谷らくごで人気を博し、ラジオ「問わず語りの松之丞」でリスナーの人気も得ます。ほんと、絶滅危惧に瀕していた講談界に、よくぞこんな人が現れたなあ。杉江さんの編集がよいのでしょう、テンポよく松之丞の人となりを描いていきます。

私は2018年5月に初めて松之丞を見てから、何回かいろいろな機会に松之丞の講談を見るとともに、ラジオもradikoでけっこう聞いていますが、最近の自粛な夜の徒然に、過去の問わず語り(2017年4月の第1回から)を聞き始めちゃったんですよ。ラジオって聞きながらいろいろできるしね。

そうするとやっぱりわかってきますね。イケてない男子の潜在的な可能性とか、前座修行のような気配りやひたすら師匠に仕えるといった行動ができない新入社員でも、その時がくればわかるときがくるんだなとか、松之丞が末っ子気質で、甘ったれで褒められたいんだなとか。

ラジオのネタの中で、学生時代から憧れていた伊集院光に会ったときに、質問攻めにしたせいか、もう会わないと嫌われてしまったというのがけっこう有名なんですけど、それ、わかる気がするんです。よく、対談で相手を質問攻めにするんですけど、会話のキャッチボールにならないと面白くない。歌舞伎評論家の児玉竜一先生との対談のときも、児玉先生に質問ばかりして、児玉先生が話したいことには流れが行かずもどかしかったですもん。児玉ー木ノ下対談が面白かっただけに!

でも、やっぱりこの人、聞き手に合わせて物語をさせたらうまい。見知らぬ人のエピソードが、生き生きと、面白く聞けます。講談界の発展という志の高い甘ったれな伯山がどうなるのか、注目していきたいです。

(伯山TV)

ところでYouTubeの伯山TVで、襲名披露の楽屋裏を毎日アップしてくれていました。見慣れた歌舞伎と比べると、襲名披露本人は話さず、真ん中で顔を上げています。落語家さんたちの口上だからすごく面白いのに、ニコリともしないのがへん。爆笑問題が延々とふざけているのに対してだけは、やめろと声を上げていました。

知らない落語家さんもたくさんでしたが、日々見ているうちに、すっかり文治さんと笑遊さん好きになっちゃった。粋で面白いし、文治さんは毎日替えてくる襦袢の超おしゃれなこと。この楽屋裏、口上、伯山のマクラ、講談の最後、三本締めと流れが安定しているのもうまいし、楽屋の音が取れていなかった回では、活弁士の坂本頼光にアテレコさせたのもとっても面白かったです。

襲名披露の終わった後は、畦倉重四郎の連続読み19本の毎日アップ、これが先が聞きたくてうずうずします。ほんとにありがとう伯山さん!

 

 

 

 

DVD「博奕十王」

  アシェット2003_20200312221001社の歌舞伎DVDシリーズ、ときどき買っていますが、15巻は、2014年、猿之助の最後の新春浅草歌舞伎、「博奕十王」です。サイコロを持って悪そうな顔をしている猿之助の写真は見ていたので、楽しみにしていました。

舞台の背景は茶色い松、閻魔大王(男女蔵)と獄卒(弘太郎、猿史郎)がいる冥途、六道の辻。地方の皆さんも(そして後見も!)三角布(天冠)をつけています。

そこへやってきた、白装束の博奕打(猿之助)、愛嬌たっぷり。大王からせしめた酒の肴にと、身の上話をはじめます。博奕での喧嘩で死んでしまった博奕打ですが、浄玻璃の鏡で映すと悪行ばかり。地獄に落ちそうになりますが、博奕を知らない大王をサイコロ博奕に誘い、次々と装束を巻き上げ、さらに虎拳(和藤内、母、虎のじゃんけん)で勝った博奕打は極楽への送り状を手に入れ、悠々と引き上げます。

と、他愛ない話なのですが、こずるくて賢しげで軽妙な博奕打って、ものすごく猿之助に合ってるんですよ。衣装も花札柄の着物にサイコロ柄の裁着袴と遊び心のある美しいもので、出ずっぱりでたっぷり舞踊を見せてくれます。話もテンポよく面白いので、目を凝らしてみつめるというより、ああ、楽しいなと思わせてくれます。

嵩高い立派な拵えながらおっとりと間抜けな閻魔大王も、男女蔵さんにぴったり。動きキレキレの弘太朗・猿四郎、後見には段之さん、蔦之助(つーたんは、この後自主公演でこの博奕十王をやっていますね)。地方も長唄今藤尚之さん、巳津也さん、三味線稀音屋祐介さんって、お正月の連獅子と同じ方々が舞台を盛り上げていました。

この若さでの舞踊のDVD化、ありがたいです。ほかの舞踊もぜひぜひDVD化を!

(追 記)

この浅草のすぐ後に、NHK「SWITCHインタビュー」で、野村萬斎さんと四代目が対談しています。「空ヲ刻ム者」と、萬斎さんの「神なき国の騎士」(ドン・キホーテの物語)の稽古場がSWITCH!萬斎さんも狂言で博奕十王を演じているので、ストーリーや小道具の種類は同じなのに、歌舞伎と狂言の表現がいかに違うかということを比較してくれて面白い!狂言の中でも、衣装も道具も派手な演目だと思いますが(萬斎さんのは最後博奕打が宙乗りするバージョンもある)、歌舞伎しかも澤瀉屋ですから、歌舞伎の客向けのサービス精神がよくわかります。

そして、この二人が大好きなNHKさんの、幼い頃からの豊富な映像で、御曹司として生まれた二人の芸への向き合い方の違いが語られていきます。伝統芸能の中でも聡明で言葉で表現するのがうまい二人なので、優れた演出家の対談のようで無駄な言葉がない。年上の萬斎さんが、ややヒネくれててでも自信たっぷりな(この時期って猿之助がある意味得意の絶頂期では)猿之助を面白がっている感じが出てて、私にはたまりません。

歌舞伎と狂言が染み付いた二人なので、現代劇では立ち方や歩き方まで一から学んだとか。そして、演劇としての表現を追求する二人が、舞踊での表現力が素晴らしいのも大好きです。

小林恭子「英国公文書の世界史― 一次資料の宝石箱」

  2003英国在住のジャーナリスト、小林恭子さんの「英国公文書の世界史― 一次資料の宝石箱」です。英国の公文書館に保存してある文書をキーとして、英国の歴史のエピソードを綴った新書なのですが、これがなかなか面白かった!

第1章は日本関係、夏目漱石の名のある国勢調査、同時代に画家としてロンドンで活躍した牧野義男の写真、原爆開発の研究者の「フリッシュ―バイエルスの覚書」、原爆投下後の日本の状況についての報告書、ビートルズ来日についての英国大使の報告書(←熱狂と警備と外交的な効果についての興味深い記載です)。

第2章以降は英国を中心とする歴史です。公文書館最古の文書である1086年の土地台帳「ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)」に始まり、マグナ・カルタ、ヘンリー八世の離婚証明、シェイクスピアの遺言書、蒸気機関車の見取り図、世界初の切手、ウィリアム・モリスの布見本、切り裂きジャックの手紙、婦人参政権運動家の女性の写真、英仏の中東の版図に関する極秘協定「サイクス・ピコ」、チャーチルとスターリンの第二次世界大戦後のヨーロッパ支配に関する密約の手書きメモ、インド・パキスタンの分離・独立に関する文書、ケンブリッジ・スパイの電報、などなど。

文書にまつわる歴史的事実を各7、8ページで説明しているのですが、さすが英国の歴史は世界史で勉強したことも多く、それぞれの項目が興味深く、面白く読めました。これだけの内容を、複雑なものも含めて平易に解説されているのは、歴史家でない、著者のジャーナリストとしての経験によるものでしょう。

どれも面白いのですが、この本で初めて知ったケンブリッジ・スパイの話。東西冷戦時代、名門校からケンブリッジ大を出た、純粋な英国のエリート外交官や官僚、美術史家等5人が、ケンブリッジで共産主義に共感したことから、ソ連のスパイとして、原爆開発や米英関係などの機密情報を送り続けていたというのですよ!とくに王室との関係も深くエリザベス女王から勲章まで得た美術史家のブラントは、自白後もスパイであった事実をしばらく公にされず、エリザベス女王はそれをいつ知ったのか、という謎も残されています。

最後は、自由に資料が利用できる英国公文書館と我が国の公文書館の実情についても触れています。

 

ドナルド・キーン 河路由佳「ドナルド・キーン わたしの日本語修行」

2002_20200221225401  ドナルド・キーン氏の日本語習得、日本文学との関係について、河路由佳さんがインタビューした内容をまとめた本です。キーン氏については、ずっと以前、朝日新聞の連載の「百代の過客」を読んでいたとき、あまりに見事な日本語なので、翻訳なのだろうかと思った記憶がありますが、この本で、キーン氏の日本語力について、なんというか、謎が解けました。わりと日本語関係の本が好きで以前はよく読んでいたのですが、この本もたへん面白かったです。

「わたしの日本語修行」というタイトルは、日本語習得の過程のみを指すように感じますが(小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」という面白い本がありました)、とんでもない、「不世出の日本文学研究者ドナルド・キーンはいかに学び、教えたか」といった本です。河路さんの、キーン氏への深い尊敬の念と、この機会に彼の歩みをできる限り詳しく形に残そうという思いがあふれています。

キーンさんはニューヨークに生まれ、子どもの頃から外国語に関心が高く、また優秀だったので飛び級で16歳でコロンビア大学に入学し、もとから興味のあったフランス語のほか、古代ギリシア語を学び、また中国人と友人になったことから中国語を学びます。ここで漢字を学んだことが、後に日本語学習に生きてくるのです。

第二次世界大戦が勃発したころ、キーンさんはタイムズスクェアでアーサー・ウエーリーによる源氏物語の翻訳本に出合い、夢中になります。大学で少し日本語を勉強した後、19歳で海軍日本語学校に志願して入学します。そこでは、実践的かつ文学的香り豊かな長沼直江氏作成の教科書を使った、リベラルで魅力的な日本語教育の場がありました。キーンさんはわずか11か月という驚異的な短期間で日本語を身につけ、軍の仕事につきます。

ハワイの真珠湾では、押収された日本軍の文書の翻訳をします。行書を学んでいたために手書きの日記も読めたのですが、アメリカでは秘密を洩らさないよう日記を書くことは禁止されていましたが、日本の兵士は日記を書くことを奨励されていました。日本語が読まれるはずがないと考えていたのかもしれません。日記は、とくに日本にいる間は上官の検閲を意識した愛国的なものでしたが、戦地で命の危険にさらされたときの日記は本当の気持ちがあふれ、キーンさんは感動しながら読み、これが日本人の日記文学を研究テーマの一つにすることにつながります。

その後、キーンさんはコロンビア大学大学院やケンブリッジ大での職を経て、1953年に初めて日本に留学し京大で学びます。それから日本とアメリカを行き来しながら、自らの研究と著作に加えて、多くの日本文学研究者を育てるのです。優れた先生や、優秀な教え子に対する愛情にも打たれます。

卓越した能力と、漢字が好きで日本語と日本文学を愛し、真摯で熱心な教育者でもあったキーンさんがいなかったら、世界での日本文学研究の地位は、現在よりもずっとマイナーなものであっただろうと思いました。

ところで、第5章に、正岡子規に関する著書の話が出てきます。キーンさんは、「子規の英語力は高いです。…でも、自分ではできないと思っていた。それはなぜかというと、同じクラスに夏目漱石がいたからです。漱石の英語は見事です。上手どころではなく、完璧です。」と言っています。先日、著者の伊集院静氏の病気のために中断してしまった日経の連載小説「ミチクサ先生」で、英語のできる漱石と、大学の勉強よりも俳句や漢詩の創作に情熱を捧げた友情の物語を読んでいたものですから、キーンさんのこの評価と全く合致しているのに納得してしまいました。さすがに伊集院氏もこの本は読んでいないでしょうが。

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