2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月

長谷部浩「菊五郎の色気」

201910_20191027230901  長谷部浩さんの「菊五郎の色気」、2007年出版の文春新書です。全体の三分の一ほどが七代目菊五郎という役者について、残りは、代表的な役についての批評。

冒頭に、平成15年くらいまでのカラー写真があります。今も菊五郎さんの世話物の数々に間に合ってほんとによかったと思っていますが、やはり40代後半から50代の菊五郎さんの美しいこと!桜丸、弁天小僧、お嬢吉三、直次郎、五郎蔵、宗五郎、新三、玉手、政岡、白拍子花子、忠信、小姓弥生、獅子の精、判官、勘平、捨助と坊太夫(←NINAGAWA十二夜)。役名を書き出したら、どれもよくて省略できませんでした。妖艶だったりいなせだったり、かっこいいのなんのって。鳥居前の写真は2004年、菊之助の静ですが、この時点では、どうみても菊五郎さんの方が華があります(ここからみると、今の菊之助は本当にうつくしくなった!)。

寺島しのぶさんは、父の魅力を、「父が出ると、一枚、照明が明るくなったような気がする。『出』のときの空気の変え方がすごい」「それが自然にできるのが、梨園で育てられた歌舞伎俳優なんだと思います。出たときに、お客さんが見てくれるのを疑ったことがない。そこに何の迷いもないことが色気なんですね」といっています。さすが、歌舞伎俳優になりたくてたまらなかった娘のことばで、菊五郎さんの魅力を的確に表現しています。

しどころや段取りの多い役柄を、きっちりと緻密に演じながら、舞台ではまさにその役の人物が自然に存在しているのが菊五郎さんだと思うんですが、若い頃は、そのような技巧ではなく、女方としての美貌と、踊りのうまさで伸び伸びと数々の役をやってきた人という印象。しかし、ご本人は菊五郎として家の芸をやるために、女方よりも早く立ち役をやりたかったのだと。

菊五郎襲名時の話として、「父(七代目梅幸)は、歌舞伎界の紳士といわれて、温厚で、いつも一歩引いてきましたが、それはすべて、私に襲名をさせるためだったのかもしれません。…父は、歌舞伎界のどこにも敵を作らないことで、私を菊五郎にした」とあります(このくだり、私が中川右介著「歌舞伎 家と血と藝」で読んで印象に残った部分なんですが、元は長谷川さんが菊五郎さんから直接驚きの告白を受けてこの本に書いた文!これも引用なしで書いてたのか)。

辰之助さんが早逝したことで、音羽屋の芸を一身に引き受けた感のある菊五郎さんですが、凄みのある女方も見てみたいです。一部をちょっと見ただけですが三代目猿之助と共演した「雙生隅田川」の班女御前は、この美貌の迫力ある女方はいったい誰、と思いましたし、この本に写真のある玉手御前(純子夫人もとても素敵、と言っています)も何ともいえない表情をしています。政岡ももうやらないのかなあ。

しのぶさんや菊之助さんは、菊五郎さんが家の立派な稽古場で踊るところを見たことがないんだそうです。踊りについては、30そこそこまでに完成してしまったんでしょうか。

 

映画「ジョーカー」

201910joker  ホアキン・フェニックスの渾身の演技が評判の「ジョーカー」です。「バットマン」の敵役ジョーカーが生まれるまでを描くということで、「ダークサイド」はじめバットマンは全然見たことなかったんですが、バットマンを知らなくても大丈夫というのをきいて。

アーサー(ホアキン)は、サンドイッチマンやピエロをやりながら、母と暮らしています。突然笑いが止まらなくなる神経症状があり、不気味な雰囲気で仕事もうまくいかない、生きづらそうなアーサー。敵役ジョーカーになるという最大のネタバレありき映画なために、このアーサーは幸せになることはないんだ、実際、アーサーがやられているかやっているかのシーンばかりで全編つらいです。

ふとしたことで証券マンを地下鉄で殺してしまったアーサーがピエロのメイクをしていたために、ゴッサムシティ(=荒んでいて治安も最低な頃のニューヨーク)では、ピエロの仮面は下層階級の金持ちへの怒りの象徴になっていきます。そして…。

アーサーの鬱屈と怒りの爆発、個人の憤懣が社会的なうねりになっていくところの描写が本当にうまい。アーサーの母とか、トーマス・ウェインとか、TVショーの名司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)の何ともいえないいやな感じも見事。心に刺さりながらエンタテインメントとしても成立しているすごい映画だと思います。

そうだ、前に「バットマンの名前はブルース・ウェインであることは覚えておいて」というのを読んでいたんですが、見てる間はすっかり忘れてました。覚えていればよかったのに。

アーサーの軽快なダンス(いわゆるダンスシーンというのとは違いますが)、ズン、とくる厳選された音楽もいいです。映画の中と、エンディングに流れる歌、ミュージカルの歌だなと思ってたんですが、最後に思い出しました。ソンドハイムの「リトル・ナイト・ミュージック」の名曲「Send in the Clowns」をシナトラが歌ったものでした。ミュージカルでは女性が歌うんですが(泣ける)、シナトラもすごくよかったです。

(直後の追記)

と、いったんこの記事アップしてから、実は全てがジョーカー監督が作り出したジョーカー誕生物語なのだという記事を目にして、うわああ、そうだったのかも、そうにちがいない、という気がしてきました。映画の中のアーサーが不幸なのは変わりませんが、ほんとうにアーサーがジョーカーなのかは、謎として残されているのだと…。深すぎる。

Tom Kob さんの「ジョーカー 圧倒的ネタバレ考察」

猿渡由紀さんの「「ジョーカー」が投げかける多くの謎。あのストーリーをどう解釈すべきか」

 

吉田修一「国宝」

201910

  歌舞伎役者を主人公とした大河小説、吉田修一「国宝」上下巻です。主人公の少年時代から人間国宝となるまで、単行本上下700頁の大作で、昨年出版されてから、読まなくちゃと思ってました。

東京オリンピックの年、長崎の極道親分の息子である喜久雄は、新年会で「関の扉」の墨染を踊り、喝采を受けますが、その場での抗争で父はあえなく殺されます。喜久雄は、いろいろあって大阪の歌舞伎役者花井半次郎に預けられ、部屋子として、半次郎の息子俊介と生涯を通じて芸を競っていきます…。

上巻の半分近くまでは、極道の息子らしく肝の据わった喜久雄と、組の若いもんである徳次のバディが中心で、バイオレンス描写も多くてややじりじりしますが(私が歌舞伎めあてなので)、喜久雄と俊介が「二人道成寺」で人気が出てからは、歌舞伎の物語になっていきます。しかし、喜久雄も俊介も才能ある役者なのに、その道は順調ではありません。後ろ盾の半次郎が亡くなってからは、二人には次から次へとたいへんな出来事が降ってきて、歌舞伎を知らない読者も、その波乱万丈のストーリーを楽しむでしょう。

著者の吉田さんは、鴈治郎さんに黒衣を作ってもらって、楽屋や舞台回りの出入り自由な立場で取材をしたそうです。なるほど、役者の楽屋の様子、芝居の前の拵え、化粧に関する間合いや、花道と舞台の距離感等の描写がとてもリアル。いろいろな出来事の引き起こす結果もそうかもしれないと納得がいきます。

201910_20191021235301ただ、後半に進むにつれ、喜久雄は芸に対してストイックになっていくんですが、芝居では芸の素晴らしさの描写が難しいのか、描写されるのが道成寺や藤娘など、舞踊に限られていて、芝居といっても阿古屋だったりするのがちょっと寂しいです。女方の最高峰といえば、歌右衛門さんとか玉三郎さんを思い浮かべるわけですが、政岡や揚巻やおとくがないのはなあ。好きな歌舞伎の話だからそんなことまで思うのかもしれません。

出てくる女性たちが、皆そろって、自分をしっかり持った、つまらないことにこだわらない清々しい女性たちであることが好ましく、読後感を気持ちのよいものにしています。

蛇足ですが、ひとつ残念だったのが、「立女形」に「たておんながた」と振り仮名つけたものが何度もでてきたこと。「たておやま」ですよねえ。なぜ間違っちゃったんだろう。

スーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」(隼人オグリ)

  猿之助の201910oguri_20191014220601スーパー歌舞伎Ⅱの新作「新版 オグリ」です。先代のスーパー歌舞伎「オグリ」のリメイクで、先代が技術的・予算的に断念した映像を使った演出を実現したという触れ込みです。オグリは猿之助・隼人のWキャストですが、隼人オグリを先に見ました。

 (その後、猿之助オグリも見ました!)

小栗判官ものは、お正月の菊五郎劇団の「世界花小栗判官」を見たことがありますが、暴れ馬を乗りこなすところと、ヒロインが照手姫で望まぬ結婚から逃れること、ハッピーエンドであることくらいが同じで、その過程はだいぶ印象がちがいます。

都から来た藤原正清、小栗判官(隼人)は、文武に秀で、いろいろ訳ありの若者たちを率いて人気となっています。望まぬ嫁入り道中の照手姫(新悟)をさらってから愛し合うようになった小栗と照手姫ですが、あくまで嫁入りを望む横山家によって、小栗一党は陥れられ、閻魔大王(浅野和之)と奥方(笑三郎)の支配する地獄に落ちます。一方照手姫は、一命を救われ、女郎屋で働くことになります…。地獄から、餓鬼病みの状態でこの世に帰ってきた小栗は…。

歌舞伎役者は澤瀉屋と若手、歌舞伎以外の俳優はワンピース歌舞伎の出演者、そして今回初傘下の舞台の実力派と多彩ですが、そこは四代目猿之助得意の役者の使い方や演出で、お弟子さんたちも含めて、一人一人に見せ場があって輝いていたのはよかったです。

隼人、大きくて美しくてヒーロー感たっぷり。ヒロイン照手の新悟は、もう一人の主役といってもいいくらい物語の芯を務めていて、この抜擢によく応えていたと思います。

猿之助の遊行上人の出番は少しなんですが、待ってましたの存在感。しかし、もう少し前半でオグリとの絡みがないと、人々を救うというより、迫力がありすぎる美坊主で、天下転覆を企んでいそうな雰囲気。何かどんでん返しがあるのではという気がしてなりませんでした。

オグリ党の笑也、竹松、福之助、男寅、猿弥、玉太郎。正直、全体にちょっと台詞が不器用なメンバーなんですが、いやー、うまく使ってましたよ。福之助、1か月も稽古したらうまくなったねー。今まで君が出てくると、お、と気づくくらいだったもん。男寅ってこんなにきれいな顔してたっけ。そして玉太郎!いい役どころで期待に応えてました。SUGATAで鷹之資と一緒に鍛えられてきたただけのことはあります!

歌舞伎外の役者さんも舞台で活躍する方たちなので芝居はしっかり。浅野和之さんは別格として、下村青、石黒英雄はビジュアルも存在感もとっても素敵、元ニナガワカンパニーの高橋洋は1幕を支えていました。嘉島典俊、市瀬秀和はもはや欠かせない存在。

段之さん、猿三郎さん、猿四郎さん、門松さん、欣也さん、笑野・猿紫ちゃんペアといった澤瀉屋の方々が、いい役どころで輝いていたのもよかったし、蔦之助も生き生きとしてたし、右近くんはやっぱり華があって落ち着いててよかったです。

豪華で今風テイストでかつ歌舞伎な衣装、効果的な鏡と映像、音楽も舞台にぴたりとはまり(衣装、美術、映像、音楽はとにかく超一流なスタッフ!)、既にお約束の宙乗りと本水で、いかにもなスーパー歌舞伎。脚本もいろいろ言われていますが、いいたいことはよくわかるし、現代にふさわしいものをという四代目の意図はきちんと伝わってくるものだったと思います。

しかし、スーパー歌舞伎という形については、考えてしまいました。四代目、男女蔵さん以外、先代の育てた澤瀉屋を除けば、浅草あるいは浅草未満な歌舞伎役者のみの座組。今後、四代目ファン以外の、演目を選んでみる歌舞伎ファンはどれだけ見てくれるんでしょうか。3幕は、明らかに隼人新悟の二人では間がもたないなと思いました。

四代目で見たい古典がほんとにたくさんありますし、四代目と大幹部、同世代(幸四郎~松也、梅枝くらいまで)の共演も見たいし、気鋭の作家と組んだ四代目の現代劇やシェイクスピアも見たい私にとっては、スーパー歌舞伎、5年に1回くらいでいい(それでも地方公演があるし)なんて言ったら、先代に怒られちゃいますかね。

ところで、今回の光るリストバンド、きれいでしたよ!また行くときに忘れないようにしなくっちゃ。

パンフレットも、いつもながらよかったです。役者の白シャツ写真と、三谷幸喜、赤川次郎、藤山直美、松任谷正隆、武豊、坂崎幸之助、大泉洋…といった有名人の方のエッセイが組になっていて、意外な縁に驚いたり。

四代目への福山雅治のコメントはとってもよかったですし、高橋洋には、演出家森新太郎が「クレシダ」のときのことを書いていて私的にはにっこり。

(追記)

その後、新型コロナウィルス感染症の影響で2020年3月の南座の全公演中止に伴い、20年4月ゲネプロの期間限定配信がありましたのでその感想。隼人、あくまで美しく、一段と成長を感じました。

関容子「芸づくし忠臣蔵」

  201910geidukusi 関容子さんの「芸づくし忠臣蔵」(1999年)です。大西匡輔さんが、歌舞伎の見方がよくわかると名前を挙げていた本ですが、たしかにそのとおり、役者の工夫や舞台上での気持ちのよくわかる、とても面白い本でした。

「仮名手本忠臣蔵」を、大序から順に、役者の芸談で綴っていくというものです。よく上演される道行や勘平腹切り、祇園一力茶屋の場を除くと、2016年秋の国立劇場の通しでしか見たことがないので、ぴんと来ない場面も多いとはいえ、たいへん興味深い芸談の数々でした。

筆者が父の膝の上で忠臣蔵を初めて見たのは昭和17年、20年に亡くなった十五代羽左衛門の美しさにうっとりしたりしています。それくらい歌舞伎歴、歌舞伎役者の取材の長い関さん、芸談の中心は、梅幸、歌右衛門、十七代羽左衛門、十三代仁左衛門、十七代勘三郎、七代三津五郎、先代芝翫、そして十八代勘三郎、十二代團十郎、当代仁左衛門、そのほかお弟子さんたち。劇聖九代團十郎、十五代羽左衛門の思い出や、五段目の猪の話などもたっぷり。仁左衛門さんは、上方と江戸のやり方の違いもいろいろ話してくれています。

名優たちが何度も上演してきた作品だけに、演出も練り上げられていて、先輩達から教えられてきた段取りの細かいこと。所作の一つ一つに意味があったり、ときにはその意味をすっとばして美しさを追及したり。

四段目の判官の切腹、対面できず襖の内側に控えた家臣たちが嗚咽するときの真摯さ、その後顔世と由良之助が切り髪を前に顔を見合わせるのは間男のように見えてダメなのか、座頭役者と若手花形が思い入れたっぷりの愁嘆場だからよいのか。定九郎は薄着で倒れている時間が長いので、冬の上演が多いこととて体が冷え切ってしまうとか。

歌右衛門さんが顔世のとき「河内屋のおじさん(=二代目延若)の師直が機嫌よく身を乗り出して、わたくしのほうをじっと見つめてる。その師直の結構なことと言ったらね、ちょっとありませんでしたよ、その色気。内から外へジワリとにじみ出てくるような男の色気。これじゃあ顔世も困っちゃうだろうし…」「後ろから顔世の肩を抱いて、いかがでござる、顔世どの、いかがかな…だんだん力がこもってきて、ギューッと抱きすくめられると、何だかクラクラしてきて、…」なんて言っています。

梅幸さん、十五代羽左衛門について、「とにかく花やかでした。親父(六代目菊五郎)は理屈に合わないことはしませんが、市村のおじさんはそういうことはかまわずに派手にやりますから、パーッと花が咲いたようでした。……おじさんはとにかく美男で、気性がさっぱりしてて親切でしたから、相手役がみんな惚れましたね。」。

忠臣蔵とは関係ないですが、芝翫さんは今の勘九郎の歩き方、足さばきを見て、将来は女方とみていたそうです。今や考えられませんが、立ち役だけでなく、女方ももっと見たいですね。

歌舞伎役者の役への思い入れ、伝承された芸の工夫をかいま見るようなこの本ですが、勘三郎さんや團十郎さんの受けた教えの豊かさを思うと、またもや早すぎる死が、次世代への継承という意味でも残念だと思いました。

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »