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中村達史「若手歌舞伎」 大西匡輔「歌舞伎のいま どの芝居をどの役者でみるか」

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  1986年生まれ、30代前半という若い中村達史さんの2017年出版の初の歌舞伎評論本「若手歌舞伎」です。詳しいプロフィールはわからないんですが、歌舞伎評論家の和角仁さんの指導で勉強中ということが、同氏による解説に書いてありました。

 「若手歌舞伎」という書名の通り、染五郎から梅枝までの花形役者についての役者論。といっても11人を110ページちょっとで書いているので、だいぶ駆け足です。

 この方、古典歌舞伎の技法を維持していってほしいということを第一に考えているようで、その観点から、彼らの名跡、受け継ぐべき芸と役と現在の状況について語っています。「演劇界」や新聞とのしがらみがないせいか(言い過ぎ?)、松緑の台詞回し等、それ言っちゃうんだ、ということも書いてあるのはいいんですが、全体としては、この著者にいい印象が持てませんでした。

ひとつには、人気者ばかりで読者は承知のうえと考えてあえて書いていないのかもしれませんが、その役者の魅力や美点についての記述が乏しく、もっとこういう役をやれとか、この役でこうしたのは失敗だとかのやや近視眼的な記述が多いように思えることです。私はとにかくこの世代がすぐ上・下と比べて圧倒的に好きなので、もうちょっと各人独自の魅力を踏まえて書いてほしいし、歌舞伎を楽しむ部分や役者への共感や尊敬が薄く感じられるのは、歌舞伎評論家としてもどうなのかという気がします。

歌舞伎の技法的な部分はよくわかりませんが、菊之助の立ち役の感想や、勘九郎の役の幅とか、七之助が勉強していないとか、松也の過小評価とか、海老蔵について書きながら、全く持ち味の違う十二代團十郎をいっしょくたにしているところとか、気になるところはいろいろあります。

四代目については、スーパー歌舞伎の承継者でなければならないことと、「客入りが何より大事」との言葉を額面通りに受け取りすぎで、その芝居に至るまでの、彼が表に出さない工夫や試行錯誤が見えてないように思います。「黒塚はすでに古典だから変えるな」なんて、たしかこの4月の歌舞伎座の劇評でも書いていたと思いますが、初代猿翁が「まだ足りないところがあるから完成させてほしい」と言い残した演目で、代々の猿之助が澤瀉屋としてさまざまに工夫することを止めることなど、誰にもできないというものでしょう。

最後の40ページほどは、最近の芝居でよかったものの劇評ですが、そりゃ吉右衛門さんの芝居になりますよね。襲名後の雀右衛門さんが役者ぶり大きくなったというのも誰が見てもそうですし。劇評の文体が年配者の借り物みたいでぱっとしないのも若いのに残念。

 

  201907_20190725072602さて、もう1冊は、1939年生まれの大西匡輔さんの2013年出版「歌舞伎のいま どの芝居をどの役者でみるか」です。著者は、長年高校の国語教員をされていたそうで、参考書の著書は多数ありますが、この本は、長年の歌舞伎ファンとして、「団塊の世代を始めとして、新しい世界に楽しみを見つけようとしている人に、歌舞伎という最高のエンターティンメントを楽しんでいる道案内をする」(あとがき抜粋)というコンセプトで書かれたそうです。2013年は歌舞伎座新開場で、歌舞伎が世間の関心を集めたときでもあります。

 なるほど、評論家ではない、歌舞伎ファンとしての目線で書かれていて、歌舞伎役者の世代が要領よく把握できます。第2部は作者毎に、主な演目の解説と、今のどの役者でみるかということが書かれているのですが、短いながらとてもわかりやすく、あらすじをさっと紹介する以上に立体的に芝居が理解できるようなものになっています。大西先生の授業はさぞ面白かったでしょう。作者毎の章立てというアイディアも、歌舞伎を大まかに理解するのに役立ちます。

神戸在住の著者は、やはり上方歌舞伎に思い入れがあり、江戸と上方の違いや、松嶋屋、とくに愛之助や成駒家等、上方に縁のある役者についての記述も多いです。ただ、この本の出版はわずか6年前なのに、その間の変化も大きいと感じます。例えば、坂東薪車について、御曹司ではないものの、自身の会をやり、上方にはなくてはならない役者として期待していることが書かれていますが、彼はその後、竹三郎さんからの破門を経て、今やすっかり海老蔵一座で欠かせない役者になってしまいました。

勘三郎・團十郎の早すぎる死のショックがまだ癒えず、三津五郎さんがまだお元気で、海老蔵が今より古典をやっていて、猿之助・勘九郎は襲名を機に飛躍しているという状況で、それがわずか数年前の話なんだなという感じがします。猿之助の四代目襲名に関しては、それにより亀治郎時代のように様々な役者と共演しなくなるくらいなら亀治郎のままでよかったとまで書いていて、なるほど当時はそう思われていたのか、と。

また、著者は、勘三郎さんが大好きだったためか、コクーン歌舞伎にも好意的。今の観客にはみどりは不親切である一方、通しは退屈になりがちで、その両者の欠点を補う、演出家の一貫した目による通しの再構成は意義があり、また稽古が十分行われる点がよいと。演出にもよりますが、私もこの意見には同意です。音楽は邦楽でやってほしいというのも同じですね。

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