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扇田昭彦「日本の現代演劇」「舞台は語る―現代演劇とミュージカルの見方」

Photo_3  朝日新聞の演劇記者として、1960年代後半から長く劇評を書いて来た扇田昭彦さんの日本の演劇史の新書2冊です。実は「日本の現代演劇」(1995)の方を後から読んだんですが、発行が先なのでまずこちらのご紹介。

  最初から、唐十郎の状況劇場、鈴木忠志の早稲田小劇場、串田和美がいた自由劇場、寺山修司の天井桟敷という、演劇に詳しくない人でも名前だけは知っているようなカリスマ的なリーダーと劇団が取り上げられます。扇田記者が演劇を見始めた頃が、ちょうどこうした、革新的な熱気あふれる演劇集団がいくつも活躍し始めた頃だったんですね。

私は扇田さんよりだいぶ年下で、かろうじてずっと後に天井桟敷の「百年の孤独」を見たことがあるくらいで(あまりにそれまで見ていたものと違っていて理解できませんでしたが)、唐十郎や李礼仙、白石加代子等はドラマで知った世代なので、リアルタイムの熱気を知ることができて、とても興味深かったです。寺山修司の実験的な試みは、今からみてもかっとんでいたんですね。

別役実、蜷川幸雄、つかこうへいの時代の中での意味あいや、シェイクスピアの再認識、野田秀樹の衝撃などが同時代ならではの筆致で描かれていきます。

女性の演劇という項にも頁を割いており、渡辺えりこの劇団三〇〇、劇団青い鳥(木野花がいた)、岸田理生、惜しくも早逝した如月小春たちの活躍も(ほふとんど見ていないので)面白かったです。

もちろん、演劇という素材の限界で、見ている扇田さんにとっては十分描写されているんでしょうが、見ていない者にとっては、想像にも困難があるのはやむをえません。新書ということもあり、演劇評論というよりは、あくまで短い演劇史です。

個人的におもしろかったのは、パルコ・ドラマ・フェスティバルで入場料について劇団側と主催者がもめたことがあったというエピソード。ある劇団の主催者が、「我々の創作に関する問題だ」としたのに対し、野田秀樹が「ただの不手際で大した問題じゃない」と言い放ったとかで、その後も企業の後援などを活用しながら自由な創作活動を続けてきているのはご存知の通りです。

Photo_4  「舞台は語る―現代演劇とミュージカルの見方」(2002)は、「日本の現代演劇」よりももう少し長く、1960年代から90年代までの現代演劇全般を扱っています。

前半の記述は全体的にコンパクトになっていますが、シェイクスピアと並んで、「ゴドーを待ちながら」のバリエーション、チェーホフの影響にも言及しています。また、90年代のウェルメイド・プレイの旗手三谷幸喜や、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、岩松了、松尾スズキなどへの記述も見られます。

ただ、ミュージカルについては、「上海バンスキング」(お好きなんでしょうね)、「オペラ座の怪人」(オペラ型ミュージカル)、「レ・ミゼラブル」(スターシステムの変化)、劇団四季(専用劇場)、宮本亜門、音楽座ふるさときゃらばんについて書いていらっしゃるんですが、何というか、何にもわかってないというか…。ミュージカルを分類するのも意味がないとは言いませんが、そもそもミュージカルの魅力について興味がないんだったら、無理に書かなくてよかったんじゃないかと思います。ああ、いくら売るための表題とはいえ、集英社新書とはいえ(←信頼感さらに低下)、悲しくなりました。

 

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